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イザベラ・バード著『日本奥地紀行』における明治初期の黒石ねぷた祭りの描写

この記事は「青森ねぶた祭り Advent Calendar 2015」の12月7日分として書きました。

以前の記事でも少し触れましたが、女性旅行家イザベラ・バードが書いた『日本奥地紀行』には、青森県黒石市で毎年行われている黒石ねぷた祭りについての描写があります。

www.heibonsha.co.jp


日本奥地紀行は、明治11年8月から9月にかけて、イザベラ・バードが東京から北海道まで旅した際に記した紀行文です。東京を出発したイザベラ・バードは、奥日光を経て新潟に出たのち、置賜地方や湯沢を抜けて黒石に到着します。そこでたまたま行われていた七夕祭りを見物するのです。

上記の平凡社ライブラリーの翻訳本から、該当箇所を引用します。

私たちはまもなく祭りの行列が進んで来るのを見られるところまで来た。それはとても美しく絵のようだったので、私はそこに一時間ほど立ちつくした。

この行列は、8月の第1週に毎夜7時から10時まで町中を練り歩く。行列は大きな箱(というよりはむしろ金箱)を持って進む。その中には紙片がたくさん入っていて、それには祈願が書いてある(と私は聞いた)。毎朝7時に、これが川まで運ばれ、紙片は川に流される。

この行列には人間の高さほどの巨大な太鼓が3つ出る。それは馬の革がはってあり、面を上に向け、太鼓を叩く人に紐で結びつけてある。それから小太鼓が30あって、みな休みなくドンドコドンと打ち鳴らされる。どの太鼓も面に巴が描かれている。

それから何百という提灯が運ばれてくる。それはいろいろな長さの長い竿につけ中央の提灯のまわりについて来る。竿は高さが20フィートもあり、提灯それ自体が6フィートの長さの長方形で、前部と翼部がある。それにはあらゆる種類の奇獣怪獣が極彩色で描かれている。事実それは提灯というよりもむしろ透かし絵である。

それを取り囲んでいるのは何百という美しい提灯で、あらゆる種類の珍しい形をしたものーー扇や魚、鳥、凧、太鼓などの透かし絵がある。何百という大人や子どもたちがその後に続き、みな円い提灯を手に持っていた。

行列に沿った街路の軒端には、片側に巴を描き、反対側に漢字を2つ書いた提灯が列をつくってかけてあった。

私は、このように全くお伽話の中に出てくるような光景を今まで見たことがない。提灯の波は揺れながら進み、柔らかい灯火と柔らかい色彩が、暗闇の中に高く動き、提灯を持つ人の姿は暗い影の中にかくれている。

この祭りは七夕祭、または星夕祭(セイセキマツリ)と呼ばれる。

七夕祭と書かれていますが、これがねぷた祭りを指すことはよく知られています。ねぶた・ねぷた祭りは七夕の時期に行われる眠り流しの風習が形を変えたものだということが分かっているからです。眠り流しの代表的な形は、全国各地で行われている灯籠流しです。あるいは七夕飾りに使った笹を流す地域もあります。

津軽地方では、いつの頃からこの灯籠をより大きく、より綺麗に飾り立てるようになったそうです。秋田の竿燈祭りも同様に灯籠流しが形を変えたものだと言われています。

日本奥地紀行における描写で注目すべきポイントは、使っている灯籠が今のように扇型や人形型をしておらず、それでいながら派手な絵が描かれて綺麗に飾られているという様子です。

津軽のねぶた・ねぷた祭りがいつ頃から今のような扇型や人形型の灯籠を使うようになったのかははっきりとは分かっていませんが、江戸時代後期には人形型の灯籠や担ぎねぶたが使われていたとも言われています。また黒石では灯籠に人形を載せたような絵も残されています。

しかしイザベラ・バードの記述には、そのような人形型の灯籠については言及がありません。またネプタという単語もありません。イザベラ・バードはこの祭りについての知識を通訳の伊藤鶴吉から得たようですが、その伊藤も詳しいことは知らず説明ができなかったと、奥地紀行には書かれています。

なお、「ネブタ」(もしくはネプタ、ネムタなど)という呼称については、江戸時代からすでに使われていたことが記録に残っています。黒石では七夕祭りと呼んでいますが、ネプタやネムタと記している(黒石のものとされる)記録もあります。

もうひとつ気になることがあります。
実はねぶた祭りは、明治6年から14年までの間、初代青森県令によって禁止が出されていたのです。イザベラ・バードが黒石を訪れたのは明治11年なので、禁止令の真っ最中です。

禁止令の最中にもこっそりとねぶた・ねぷたを行っていた地域はあるそうですが、なにぶん禁止中のことなので、灯籠は小型化されていたと言います。イザベラ・バードが遭遇したのはそのような経緯で小規模化された七夕祭りだったのでしょうか。

ついでに書いておくと、別の記録で内藤官八郎という人が「明治十年の西南の役に官軍が勝利したことを祝って、佞武多を復活してさらに祝いたいと願い出たところ、一丈三尺以下は許可された」という記述があります。ただし、れは彼の創作ではないかとも考えられています。

いずれにせよ、世界の様々な文化を目にしてきたイザベラ・バードをして、「このように全くお伽話の中に出てくるような光景を今まで見たことがない」と言わしめるねぷたの魅力は、日本人として誇らしく思えるものです。