ねぶた期間中だけオープンするサマーキャンプ場の歴史

この記事は「青森ねぶた祭り Advent Calendar 2015」の12月21日分として書きました。
 
今日のは完全に内輪話ですが、こういうものは忘れ去られる前に、戒めとしてどこかに記録しておいた方がいいと思うので。
 

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公式サイトにも載っていますが、青森市には、ねぶたの開催期間中のみオープンするサマーキャンプ場があります。このキャンプ場は青森市ねぶた祭りを目的に集まる人のために、青森市が公式に設営してくれているものです。
 
 
キャンプ場とは言っても、広めの敷地の草を刈って、仮設の水道とトイレ、ゴミ箱を設置しただけの簡単なものです。運営は、利用者による自治体制で行っており、注意事項の伝達や市側の担当者との連絡・情報交換なども利用者の有志がやっています。*1
 
キャンプ場は誰でも利用できますが、実際には集まってくるのはほとんどがライダーやチャリダーバックパッカーなど(「元」を含む)の、世間ではいわゆる"旅人"と呼ばれているような人たちです(ここではまとめてライダーと書きます)。その理由は、このキャンプ場が設営されるようになった経緯と深く関係しています。
 
サマーキャンプ場の運営に関わるようになった者として、覚書きの意味を兼ねてその歴史を紹介したいと思います。とはいえ、私がねぶたに参加するようになったのは2003年からなので、それ以前の話は人から聞いたものです。また、あえてここでは特定の人物の名前は書かないことにします。
 

1998年以前(フェリーターミナル時代)

サマーキャンプ場ができるよりも前の時代で、集まった人たちはフェリーターミナルの敷地内の芝生に勝手にテントを張って寝泊まりしていました。
青森ねぶた祭はもともと外部の人にも開かれたお祭りで、跳人としてであれば誰でも自由に参加することができます。その噂を聞きつけて全国からライダーが集まるようになりました。主に、夏の間は北海道のキャンプ場に滞在しているような人たちです。地元のヤンキーが祭りを荒らすいわゆる"カラス"とは違って、純粋にお祭りを楽しみに来ていました(ここ重要!)。が、跳人の正装にもうるさくなかった当時、カラスと見分けがつかなかったと当時を知る人は言っています。
 
人数が少ないうちはフェリーターミナル側も黙認してくれていましたが、集まる人が増えるにしたがって次第に一般のお客さんにも迷惑がかかるようになり、ついにライダーの寝泊まりを禁止するという決定が下りました。

1999〜2001年(サマーキャンプ場創設期:ふれあい郵便局時代)

フェリーターミナルの使用が禁止になり、行き場を失ったライダーに、青森市が救いの手を差し伸べてくれました。普段は使っていない敷地の草を刈り、キャンプサイトとしてライダーが使えるように整備して提供してくれたのです。ねぶた祭りを楽しみにわざわざ全国から来てくれる人をガッカリさせないようにという粋な計らいでした。
 
この頃、何百人という単位で集まってくるライダーを、跳人として受け入れてくれていた団体がふれあい郵便局です。参加自由とはいえ、お世辞にも素行がいいとは言えない数百人の集団が一度に押しかけたら混乱することは必至です。それを避けるために、ライダー側の代表が団体側と事前に打ち合わせをして、滞りなく参加できるように調整していました。
 
キャンプ場の運営は利用するライダー自身による自治体制でした。これは今でも同じです。テントサイト内の決まり事や、会場への移動時の誘導、トラブルへの対応なども含めて、利用者同士で相談し合って実施しています。

2002年以降(青森県板金組合時代)

郵便局がねぶたを出さなくなって最初の2002年は、キャンプ場の運営にとっては変革の年だったといいます。最初、新たにライダーを受け入れてくれる団体はありませんでした。ライダーの代表が運営委員会や各団体の責任者にお願いして回りましたが、結局運行が始まる前日になってもまだ受け入れ団体が決まっていなかったそうです。問題になったのは、まず人数が多すぎることや、衣装がバラバラなこと(色が奇抜だったり、地下足袋だったり)などです。
 
結局、最後の最後に受け入れを申し出てくれたのが青森県板金組合でした。板金組合の当時の親方は、これは思い切った決断だったと語ってくれました。でもせっかく遠くから集まってくれてるんだから無碍に突き返すわけにはいかないだろう、と。
 
板金組合は今でもライダーを受け入れ続けてくれています。ライダー側も、交代でロープ持ち用員を出すなど、運行に協力するようになりました。そういう経緯があったので、昔からの常連ほど板金組合に対する恩義を感じているようです。
 

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板金組合のねぶたがズームイン朝に出演したときには、跳人はキャンプ場で募集しました

 

この頃から、キャンプ場の利用者が大幅に増えました。2005年頃には駐輪スペースに停めてあったバイクだけで500台くらいありました。そのため騒音やマナー違反といったトラブルが増えたほか、事故や交通違反などに対する懸念も大きくなりました。実際に、喧嘩や騒音が原因で警察に通報される事態になったこともあります。
 
この頃には、もし次に何か大きな問題を起こしたらこのキャンプ場は無くなる、という危機感が常にありました(今でもありますが)。結果として、利用にあたっての決まり事が増え、かなりしつこく注意を繰り返すようになりました。以前を知る人の中には、今のキャンプ場は決まり事が多くて昔より面白くなくなったという人もいます。が、なんとかキャンプ場を存続させるための苦肉の策だったというのが私の認識です。

 

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今や恒例になった、キャンプ場からのライダー・チャリダーの移動風景。写真だとハイタッチしてますが、これは危険ということでこの年以降禁止にしました

最近

そのような時期を経つつも、おかげさまでここ数年は特別に危機的なトラブルというようなこともなく、観光課の方からも「ライダーの皆さんはよくやってくれている」という声をいただいています。目下の悩みといえば、もっぱら常連ライダーの高齢化ですね。

 

ねぶた祭りのサマーキャンプ場はちょっと特殊なコミュニティです。ライダー同士の独特な結束力に頼って運営している反面、初めて利用する人が壁を感じるようではいけないという気持ちも強く持っています。なので、ねぶたにも興味があるけど実はキャンプにも興味があるという人は、ちょっとサマーキャンプ場も覗いてみてください。見かけによらずみんな優しいですよ。

*1:ちなみに私は数年前からそこの仕切り役を任されているうちの一人です。